2014年4月6日礼拝説教 「教会の世話をさせるため」

               2014年4月6日

聖書=使徒言行録20章25~38節

教会の世話をさせるため

 

 今日は「浜松教会伝道開始記念礼拝」です。この箇所はパウロの告別説教です。ミレトスという港町に船は3日か4日停泊します。そこでミレトスから内陸の町エフェソに使いを出してエフェソ教会の長老たちを呼び寄せました。自分が全精力を注いで伝道して建てた教会を堅く守ってほしいというパウロの願いです。28節を中心に3つのことを学びたい。

 第1は教会の値高さです。パウロは「神がみ子の血によってご自分のものとなさった神の教会」と語ります。キリストの教会は、神がかけがえのない「み子の血」の代価を支払って買い取られたものです。ですから、教会は人間のものではなく神の所有です。私たちは教会を人の集まりと理解します。使徒信条の「聖徒の交わり」は「御子の血によって買い取られた人々の交わり」なのです。この意味で値高いのです。

 「私たちの教会はまだ伝道所です」とか、「あなたの所は伝道所よね」という言い方がなされます。この教会・伝道所という区別は本質的なものではない。教会規定上の区分にすぎない。教会は大きかろうが小さかろうが神の教会です。神の目には大教会も小教会もない。二人、三人、キリストの名によって集うところが立派なキリストの教会です。この視点を見失ってはならない。大事なことは群れがキリストの恵みに生きることです。キリストの恵みによって生かされた人たちの群れが神の教会なのです。

 教会は牧師のものでも役員のものでも教会員のものでもありません。神のものです。神の教会です。このことも徹底的に覚えておかねばならない。「だれだれ先生の教会」と言われることがある。このような言い方は感心できません。また、教会は自分たち信徒のものだと考えることもおかしなことです。教会は神の所有であり、どんな意味ででも人間の所有ではありません。「神のもの」とは、神が教会に対して特別な愛……罪人を追い求め、罪を赦す神の愛が注がれているところということです。

 第2は、神は教会の営みのために人を用いられます。パウロは「聖霊は、…あなたがたをこの群れの監督者に任命なさった」と語る。聖霊が役員を立てて下さるのです。神は旧約時代から群れを治めるため「長老」を立て、新約の教会も旧約時代からの在り方を受け止め「長老」を立てて群れを治めてきた。長老を立てることにより自律教会となるという思想はそこにあります。私たちの教会も、もう一回り成長して自律教会となりたいと願っています。では、まだ長老のいない伝道所の浜松教会には群れの監督者はいないのでしょうか。決してそうではありません。伝道所委員も立派な群れの監督者であることを知っていただきたい。教会規定の上では長老ではないが、神は群れの監督者をいつの時代であっても任命しておられるのです。「私は長老ではないから群れの監督者ではない」と考えてはならない。伝道所委員も神が立てておられる群れの監督者です。

 伝道所委員も群れの選挙によって選出されます。会員総会の大切な務めは役員を選ぶことです。選挙の背後にある聖霊の働きを信じることなしに教会役員は存在しません。自分たちの利益代表を選出するのでなく、神のみ心を求めて祈り、み心のあるところを確信して投票する。神のしもべとして、この人に神のみ心があると確信して投票をする。教会は神のもの、その教会の役員は聖霊によって立てられている。このことが信じられることなしに教会は成り立ちません。自分たちが選んで信任した役員を尊敬し信頼することがないならば、教会は崩れていくのです。キリストに従うとは具体的には正当に選出された役員たちに信頼して従うことです。

 第3は、教会役員に託されている務めです。「どうか、あなたがた自身と群れ全体とに気を配ってください」、さらに「神の教会の世話をさせる」ということです。パウロは2つのことを勧めています。1つは「どうか、あなたがた自身に気を付け……」です。役員は教会全体や他の人のことに気を配る役目です。しかし、パウロはその前に「自分自身のことに気を配りなさい」と勧める。いろいろな賜物や能力や奉仕も必要ですが、もっと大切なことは自分の信仰を養うこと、信仰者として成長することです。役員自身がみ言葉によって養われ成長することが必要です。しっかり聖書を読み、教理に通じ、信仰的な書物を積極的に読むように心掛けてほしい。自分自身を立て上げることが教会を立て上げることになるのです。教会員は、そのような役員を見て信仰生活をしていくのです。

 次は、「群れ全体に気を配る」ことです。これが「神の教会の世話をする」とか「群れの監督者に任命される」ということの内容です。「世話をする」とは、牧する、牧会です。羊が草を食べたり水を飲んだりして成長できるように世話をし、猛獣の餌食にならないように守ることです。監督するとは見守ることです。羊が草を食べている状態をよく見て、外敵から群れを守るように見回すことが監督することです。親は子供の顔色、食事の進み方などから子供の病気や悩みなどに気が付きます。教会の役員は群れの一人一人に気を付けて、会話の中で、礼拝出席の中で、欠席状況の中で、あるいは奉仕活動の中で、その健康状態や必要を知って面倒を見ることが求められています。また特に牧師が祈りと御言葉の務めに専念できるように環境を整え、群れが正しくみ言葉によって養われるように整えていく責任があります。「だから、目を覚ましていなさい」と警戒を怠らないように勧めた。私たちの教会に立てられている委員の方々は、このパウロの言葉をしっかり聞き取っていただきたい。委員もこの群れを牧する、世話をする方々です。祈りをもって群れの世話をしていっていただきたい。