2015年12月6日礼拝説教 「 インマヌエル…神は我らと共に」

              2015年12月6日

アドベント第2

聖書=イザヤ書7章1-17節

インマヌエル…神は我らと共に

 

 神が独り子であるお方を人として生まれさせた時、天使を通して「このように名付けなさい」と言われた名は「イエス」でした。同時にこのお方は「インマヌエル」と呼ばれると言われました。マタイ福音書1章23節「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる」。これは神の決意が実現したということです。

 

 旧約から「インマヌエル」の意味を見ていきたい。紀元前740年から前730年頃です。ユダヤの民が南北2つの国に分裂していた。北王国イスラエル、別名「エフライム」、南王国はユダです。イザヤは南王国ユダで活動していた。この時代の最強国はアッシリア帝国で、その勢力はカナン地方にも及んで、北イスラエル王国も南ユダ王国もその脅威にさらされていた。巨大なアッシリア帝国に対して周辺の小さな国々は一つ一つでは対抗できない。北イスラエルは北方のアラムと手を結んで同盟を結成し、さらに南ユダ王国に同盟に加わることを求めた。対アッシリアのため、アラム、イスラエル、ユダの三国同盟を築こうとした。

 

 「アラムがエフライムと同盟したという知らせは、ダビデの家に伝えられ、王の心も民の心も、森の木々が風に揺れ動くように動揺した」。アハズは、国をあずかる者として南王国ユダが何とか生き延びる道を探さねばならない。しかし、アハズ王としては三国同盟結成の呼びかけに素直に加わることも出来なかった。北イスラエルは南王国ユダの王アハズを交代させて扱いやすい王を即位させようという狙いがあった。自分の国を生き延びさせる方針と戦略を確定することの出来ない弱い指導者の姿をアハズに見ることが出来ます。向かうべき方向が定まらない。

 

 今、日本も多くの不安を抱えています。TPPはどうなるか。南沙諸島はどうなるか。アメリカとの関係はどう保っていいのか。多くの課題に立ち向かって行かねばならない中で、それに対処する方法が分からない。「森の木々が風に揺れ動くように動揺」している。揺れ動く不安の中で、アハズ王が選び取った道は唖然とするものでした。当のアッシリアと手を結んだ。列王記下16章に記されている。「アハズはアッシリアの王ティグラト・ピレセルに使者を遣わして言わせた。『わたしはあなたの僕、あなたの子です。どうか上って来て、わたしに立ち向かうアラムの王とイスラエルの王の手から、わたしを救い出してください。』アハズはまた主の神殿と王宮の宝物庫にある銀と金を取り出し、アッシリアの王に贈り物として送った」。アッシリアとの同盟と言うより屈服・服従です。

 

 このアハズに対してイザヤは激しく抗議した。神がイザヤに語れと命じた言葉がある。今日の私たちが聞くべき言葉である。「彼に言いなさい。落ち着いて、静かにしていなさい。恐れることはない」。決してその場しのぎの言葉ではない。神は歴史の主、摂理の主です。神は歴史の道筋を見ている。アハズが直面しているアラムと北イスラエルの同盟は「燃え残ってくすぶる切り株」で、もう火として燃え上がる力はない。イザヤは「主なる神はこう言われる。それは実現せず、成就しない」と語る。

 

 もっと大切なことがある。それは神に信頼することです。「信じなければ、あなたがたは確かにされない」と言われた。口語訳「もし、あなたがたが信じないならば、立つことは出来ない」。「信なくば、立たず」という言葉です。神を信じることが、人生なり国家なりが成り立つ基盤である。神に信頼し、神を信じ抜くことが、人が生き抜くこと、国が存続することの最も確かな道である。信仰者として末永く生きる道は神に信頼することです。

 

 イザヤの語る言葉に応じようとしないアハズに神はさらに忍耐して言われた。「主なるあなたの神に、しるしを求めよ」。神に信頼しないで自力で解決しようとしているが、神がユダの国を守っているしるしを求めてみなさいと言われた。「しるし」とは、神が生きて働いておられるしるしです。神の解決を目で確認できる「しるし」を求めてみなさい、とまで言われた。ところがアハズは言う。「わたしは求めない。主を試すようなことはしない」。信仰深い言葉のように聞こえるが、決してそうではない。私は神に頼らないと言つている。自分で何とかする、自分で解決すると言う。

 

 そこで、神はアハズの不信仰と不従順に対して言われた。それが「インマヌエル」です。神ご自身がユダの国、神の民を守るとの決意の表明の言葉です。インマヌエルと呼ばれる一人の男の子が誕生すると言われた。「インマヌエル」、「神が我らと共に」という意味です。神がユダの民、神の民と一緒にいて、危機から救い出すという神の決意の言葉です。「インマヌエル」預言は、ユダの王アハズの不信仰と不従順という形で現れている人間の罪と不従順に対しての神の抗議、神のプロテストです。あなたがたがどんなに不従順であっても、どんなに反抗しても、わたしがあなたがたを救う。わたしこそあなたがたと共にいて、あなたがたを救うのだ。そのしるしこそインマヌエルだと言われたのです。

 

 主イエスも国際政治の荒波の中に生まれました。主イエスの誕生の時、再び、イザヤの語った言葉が語られた。イザヤによって語られた時から700年の後、神はインマヌエルを与えると言われた。人間の罪がどんなに重くても、神を見失い神に反抗する人々のただ中で、神は言われた。わたしがあなたがたを救うのだ。わたし以外、あなたがたを救うことの出来るものはいない。あなたがたの不信仰と不従順に対抗して、わたしはあなたがたを救う、と。これがインマヌエルと呼ばれる主イエスなのです。ここには罪人を救う神の決意が表されているのです。「共にいる」とは、愛と保護の表れです。罪人に寄り添って、一緒に重荷を担うのです。この神の決意はかりそめの一時的なものではありません。神が共にいてくださる。これは神の救済と保護の言葉です。救い守り抜いてくださる神の決意が歴史の中で見える形で、イエス・キリストとして実現、成就したのです。