2016年2月14日礼拝説教 「 過越の準備 」

                    2016年2月14日

聖書=ルカ福音書22章7-13節

過越の準備

 

 「過越の小羊を屠るべき除酵祭の日が来た」と記されています。主イエスのことを、聖書では「小羊」と呼びます。ヨハネ福音書で洗礼者ヨハネは「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」と紹介している。黙示録では「屠られた小羊」と言う。そのように呼ぶ理由はこの過越祭にかかっています。過越の祭りはイスラエルの祝祭の中では最も重要な祭りでした。イスラエルの民がエジプトでの奴隷状態から解放された出エジプトを記念する祭りで、それぞれの家庭毎、家族毎に行います。

 今日の3月ないし4月に相当するユダヤ暦ニサンの月の15日の日没から始まります。前もって傷のない1歳の雄の小羊を用意し、前日の14日の夜、その小羊を屠り、家の入り口と鴨居、柱に小羊の血を塗ります。そして15日の夜、小羊の肉を焼いて家族全体、参加者全体が旅支度をして、「腰帯を締め、靴を履き、杖を手にし、急いで食べ」る。これからエジプトを脱出をするという故事に倣うわけです。小羊の肉と共に「酵母を入れないパンを苦菜を添えて食べ」ます。酵母を入れないパンということから除酵祭とも言われます。除酵祭と過越祭とは同じです。

 その夜、神はイスラエルの民を神を礼拝するために解放されました。これを拒んできたエジプトに対して裁きをなさった。神ご自身がエジプトの地を行き巡り、「人であれ、家畜であれ、エジプトの国のすべての初子を撃」たれた。その時、小羊の血を家の入り口に塗った家々は神の怒りが過ぎ越した。小羊の血によって、神の怒りが過ぎ越したのです。エジプト全土の初子が撃たれ、大きな叫びが起こった時に、旅支度をして過越の小羊を食べたイスラエルの人たちはエジプトを出立した。イスラエルの民は小羊の血によって神の怒りが過越し、自由と解放にあずかった。これが過越祭です。イスラエルの人は神の救済の恵みの時として覚え、毎年記念して祝いました。厳粛ですが、イスラエルの民にとってはすばらしい喜びの時です。

 主イエスは過越の準備を弟子たちに命じた。「イエスはペトロとヨハネとを使いに出そうとして、『行って過越の食事ができるように準備しなさい』と言われた」。過越は各自の家で傷のない小羊と苦菜と種入れぬパンとを用意しなければならない。この時代、スーパーで品物を買い求めることは出来ません。エルサレムの中に家も持っていません。品物の準備だけでなく、食事する場所から確保しなければならない。「準備しなさい」と言われ、すぐ「ハイ、分かりました」と答えられない。弟子たちは尋ねた。「どこに用意いたしましょうか」と。すると主イエスは言われた。「都に入ると、水がめを運んでいる男に出会う。その人が入る家までついて行き」なさい、と。

 エルサレムの市内に入ったら「水がめを運ぶ男」に出会うと言われた。この時代、水がめを持ち運ぶのは女性の務めで女性が頭や肩に置いて運んでいました。「水がめを運ぶ男」は珍しく人目につくと言っていい。その男が案内してくれると、主イエスは弟子たちに言われた。このことは、どういう意味を持つのか。なぜ、福音書記者ルカはこのことを書き残しているのか。それは、過越の準備は弟子たちが用意したのではなく、イエスご自身が用意されたのだと言おうとしているのです。弟子たちは命じられたように過越の食卓を整えただけであった。主イエスがこの過越の食卓を整える行動の主体なのです。場所の用意も、小羊や種入れぬパンの用意も、主イエスが用意したということを明らかにしようとしている。過越の食事のホストをされたのは徹底的に主イエス・キリストであったことです。

 「二人が行ってみると、イエスが言われたとおりだったので、過越の食事を準備した」。イエス様が万端きちんと用意しておいてくださった。ついて行くと、「席の整った二階の広間を見せてくれる」。全部用意が出来ていたのです。弟子たちは主イエスの用意してくださっているところへ行けばいいのです。もうすでに用意された恵みの座に着けばよいのです。この過越の食事の席で、主イエスは最後の食事をなさり、その後、聖餐を制定なさいました。ルカ福音書が伝えたいことは、この過越の食事が、そして最後の晩餐が、主イエスのご意志から出たことであり、主イエスご自身がご計画していたことであるということです。この過越しと最後の晩餐は、主イエス・キリストの贖いの恵み、キリストの救済を示す出来事です。

 主イエスが罪人の身代わりとして十字架を担われたのは、徹頭徹尾、救い主としての主イエスのご意志であり、追いつめられた末の出来事ではない。主イエスが主体的に行動して過越の用意をされた。主ご自身が私たちの救いの用意を調えてくださった。ルカ福音書は、冒頭の献呈の辞で「わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、順序正しく書いてあなたに献呈するのがよいと思いました」と記す。「順序正しく書く」とは、歴史的、時間的な順序だけでなく、神の救済の道筋に従ってということでもあります。罪人を救う神のご計画がこのように整えられた。神の罪人を救うご意志が、ここに実現してきた。罪からの解放の出来事の一切の用意が今、ここに出来上がりました。それがこの過越の食事なのです。

 ルカ福音書14章で、主イエスは「盛大な宴会」の例えをお語りになった。ある人が盛大な宴会を催し、大勢の人を招き、しもべたちを遣わして「もう用意が出来ましたから、さあ、おいでください」と言わせた。この過越と聖餐の制定によって、私たち罪人の救いの用意が整ったのです。そして今、私たちに招きの言葉がかけられています。「さあ、おいでください」と。この盛大な宴会の用意をしたのは、この宴会の主人である神とイエス・キリストです。「過越の小羊を屠るべき除酵祭の日」と記されています。主イエスご自身が過越の小羊となってその血が流されようとしています。その血が流されることによって、罪人に対する神の怒りが過越し、赦しが与えられ、救いの恵みにあずかるのです。この宴席に感謝をもって列席するだけです。それがキリストを信じるということです。