2018年5月27日
聖書=ヨハネ福音書16章1-15節
聖霊の時代
今日は、信仰者の生活と関わる聖霊の働きに限定してお話しします。最後の晩餐の席で語られたイエスの長い談話の一部です。この後、イエスはゲッセマネに行き、捕らえられて十字架への道を歩み始めます。「その時が来た」と、主は言われます。今、話しておかねばならない大事な「時が来た」。「実を言うと、わたしが去って行く」と言われた。別れの時が来たからです。主イエスは、いつも弟子たちと一緒にいてくださいました。弟子たちにとっては心強かった。しかし、これから別れなければならない。
イエスは、これから十字架への道を歩み始め、死んで葬られます。その後、3日目によみがえり、もう一度交わりが回復されます。しかし、それはあっという間に終わり、主は天に上げられます。その後は完全に弟子たちだけになります。弟子たちだけで群れを守り、弟子たちだけで福音を伝え、世界に教会を建てていくのです。弟子たちの時代が来るのです。
これから弟子たちの時代がやってくる。それは教会の時代です。イエスは、この教会の時代を見据えてお語りになっているのです。主イエスはご自分が弟子たちから去っていくことは、弟子たちの益であると言われた。「わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る」と言われます。主が去ることはマイナスではない。むしろ大きな祝福なのだと言われました。
どうしてか。聖霊が与えられるからです。新共同訳「弁護者」という訳語はあまりいい言葉ではない。ギリシャ語「パラクレートス」です。多くは、助け手、助け主と訳され、慰め主とも訳せます。私たちの傍らに、私たちといつも一緒にいて、助け、支え、慰め、守ってくださるお方です。
イエスが地上にいた時、弟子たちは困ったことが起こったら、主の御許に行けばよい。「主よ、助けてください」と叫べば、助けてくださった。今日でも「イエス様がいらしてくれたらなあ」という声を聞くことがある。しかし、よく考えてください。体を持ったイエスが今、ガリラヤにいたら、エルサレムにはいない。日本やアメリカ、中国などにはいない。イエスが人として地上にいるのであれば、時間と空間の制約のもとにいることになる。いつ、どこででも主の助けを求められるわけにはいきません。
これからは教会が世界に広がっていく時代です。そのため、主イエスは地上を去り、天の父の御許に帰り、天に上げられた主はキリストの霊としての聖霊を送ってくださいます。ペンテコステの聖霊降臨です。聖霊は、いつでも、どこにでもいてくださいます。私たちが「主よ、助けて下さい」と呼び求めるならば、どこにおいても応えてくださいます。
教会の時代とは、聖霊の臨在によって守られる時代です。使徒信条の中で「我は聖霊を信ず」と告白し、聖霊のもとで「聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、永遠の生命を信ず」と告白します。私たちが信仰を持つこと、福音を宣べ伝えること、教会を建てていくこと、すべてが聖霊のお働きのもとにあります。聖霊が豊かに注がれ、聖霊はみ言葉と共に、信じる者と共におられるお方となられたのです。
聖霊は、どういう働きをしてくれるのか。第1は「その方が来れば、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする」と言われました。「世の誤りを明らかにする」とは、「目を開く」という意味の言葉です。聖霊は救いの知識に目を開いてくださるのです。世の人々が見ることが出来なかったことに目を開くのだと言われました。世の人は、多くの知識と経験を持っています。知識的に優れた人も多くいます。決して無知ではありません。多くの人文科学や自然科学の知識を蓄えてきました。けれど、この世は決定的な知識を持たない。
聖霊が与えられる時、目が開かれる。罪とは、神を知らない罪です。義とは、キリストを与えてくださる神の義です。この世は、神の最後の裁きについては何も知りません。これらのことを、聖霊は明らかに示すのです。救いに至る知識です。聖霊によって心の目が開けられ、神に背いている自分の本当の姿を示されて、「自分は罪人だ」と認めて神に立ち帰る。信仰を得させる知識です。聖霊によって、これらの救いの恵みの知識を与えられているのです。この知識が与えられて信仰者とさせていただくのです。
聖霊の働きの第2は、「言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる」ことです。今、この時、イエスが持っているすべての知識を弟子たちが持つことは不可能です。弟子たちは、まだ一切のことを知るだけの力はありません。ですから「今、あなたがたには理解できない」。けれど、弟子たちもやがて次第に分かるようになります。聖霊は徐々に、次第に悟らせてくださるのです。
神のみ言葉の真理、神の啓示が、私たちに理解されるのは決して一挙にではありません。徐々に、次第にです。例えば、救いの恵みがユダヤ人だけでなく異邦人にも与えられることは「全世界に出て行って、すべて造られたものに福音を伝えなさい」という宣教命令ではっきりしていました。しかし、このことが弟子たちに本当に分かったのは、アンティオキアで異邦人が大勢信仰を持つようになってからのことです。聖霊は、弟子たちの信仰の経験と成長にあわせて真理を分からせてくれるのです。
「言っておきたいことは、まだたくさんある」と、主は言われました。しかし、弟子たちはこの時、多くを理解することは出来なかった。それは、やがて教会の歴史の展開の中で、聖霊が教えてくださるのです。聖霊は「真理の霊」と呼ばれています。聖霊は、三位一体の神の霊です。ですから、神の御心を深く知って、その御心を私たちに知らせてくださいます。聖霊が、私たちの生活のすべてにわたって教え導いてくださるのです。