聖書箇所:使徒言行録11章19~26節
キリスト者と呼ばれる人々
本日は、主イエスキリストを信じる人々が初めてキリスト者と呼ばれるようになったお話を共に見てまいりましょう。ここに集う方々の多くも、自らがキリスト者であるという自己認識を持っておられることと思います。それがいったいどのような意味を持っているのか、共に学びましょう。
直前までは、異邦人であるコルネリウスが救われて、教会のメンバーとして正式に受け入れられる物語が記されていました。今日の箇所でも、異邦人にまで救いが広がっていくきっかけとなった、もう一つの物語が記されてまいります。何事も、一つの出来事で全体が一気に変わることはほとんどありません。教会も同じでしょう。その意味でも、直前までのコルネリウスのお話と、今日から始まる物語が平行して記されていることに意味があるように思うのです。
今日のお話では、7章の記事にある迫害されて散らされた人々が登場します。彼らは、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行きました。エルサレムからサマリアを越え、その周辺地域にまでキリストを信じる者が散っていったことが分かります。特にアンティオキアという町は、ローマ帝国の中心都市のひとつです。主イエスの福音が、いよいよローマ帝国の主要な都市の一つにまで至ったのです。ただこのときの宣教相手は、あくまで聖書を受け入れているユダヤ人のみでした。それが当時の常識だったからです。しかしエルサレムから散らされた人々の中に、キプロス島やキレネから来た者がいたことで、状況に変化がもたらされます。この当時はギリシア語がこの地域の共通の言語でした。キプロスやキレネといったエルサレムから離れた地から来た人々は、基本的にギリシア語を話すことができました。そして彼らは、ギリシア語を話す人々にも主イエスについての福音を告げ知らせました。「ギリシア語を話す人々にも」とありますので、おそらくこの人々に積極的な宣教がなされたわけではなかったと思われます。しかし主が、この人々を助けられました。直前に「主イエス」とありますから、ここでの主とは、主に主イエスのことを指しています。主イエスがこのとき働かれ、主イエスに立ち帰る人々が多く与えられたのです。このことが、後にアンティオキアの弟子たちがキリスト者と呼ばれることにつながっていきます。
さて、このことを聞いたエルサレムの教会は、バルナバを派遣することにします。彼はキプロス島出身ですが、レビ族に属するユダヤ人です(4章参照)。それだけでなく彼は、かつて教会を迫害していたサウロを教会に受け入れるために仲介役を果たした人です(9:27)。人々を教会に受け入れることに関して、彼は適任者であると言えます。アンティオキアに到着したバルナバは、そこで神の恵みが与えられた有様を見て喜び、そして、固い決意をもって主から離れることのないようにと皆に勧めました。この時点で、バルナバが特別に何かをしたわけではありません。目の前の出来事を、神の恵みとして受けとめ、その恵みが整えられていくように配慮をしたのです。目の前の出来事を主なる神との関連で理解して行動しているところに、聖霊と信仰に満ちているバルナバの姿を見ることができます。何か素晴らしいことを自分で成し遂げるのではなく、神の働きを神の働きとして捉えることこそ、聖霊の働きであり、信仰の姿なのです。この後、バルナバ自身も彼らのために行動を起こします。タルソスにいたサウロ(9:30参照)を連れてきます。バルナバがタルソスを訪問したとき、サウロはすでにある程度宣教の実りを得ていたであろうと考えられています。実績のあるサウロをアンティオキアに連れてきて、ふたりで丸一年間教会のために働きました。このようにして、アンティオキア教会が誕生いたします。この教会はその後、異邦人伝道の拠点となっていきます。このアンティオキアにおいて、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのです。
キリスト者という言葉についてもう少し理解を深めてまいりましょう。26節の最後を見ますと「弟子たちがキリスト者と呼ばれるようになった」とあります。ですからキリスト者というのは、周囲の人々からつけられた、あだ名です。そして侮蔑的な意味合いが込められていました。なぜならキリストとは、十字架に架けられた死刑囚だからです。そんな奴を救い主としている不可解でおかしな奴らだ。そのような意味を込めて、人々は弟子たちをキリスト者と呼んだのです。一ペトロ4:16からも、このことが読み取れます。わたしたちがキリスト者であるということは、周囲の人々から無理解や軽蔑を向けられることを意味しています。そのような扱いを受けながらも、この死刑囚であるお方を救い主として信じ、信じるだけでなく彼に従って生きているのがキリスト者です。キリストに従って生きるとは、具体的には弱い者、見捨てられた者に寄り添う生き方です。この当時の時代からすると驚くほど、道徳的で魅力的な生き方を、キリスト者はしたのです。ここにキリスト者としての二重の不可解さがあります。死刑囚を救い主として信じる不可解さと、キリストに従って驚くほど魅力的な生き方をする不可解さです。これらの不可解さが、主イエスキリストの福音が急速に広まっていく原動力となったのです。その働きがこのときアンティオキアから始まって、この浜松の地にまで救いがもたらされてきたのです。
だからこそ、わたしたちもキリスト者として歩んでまいりたいのです。周囲の無理解を身に受けながらもなお、キリストを救い主として仰ぎ、魅力的に生きるという本来の意味でのキリスト者として生きていこうではありませんか。キリスト者のそのような生き方をとおして、キリストがユダヤ人だけでなく異邦人にも、すべての人々にも示されていくのです。